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きょうだいがいるのに、介護は自分ばかり。うちも、そうだった。
私には妹がいる。介護の仕事をしていて、ケアマネの資格も持っている。介護保険のことも、手続きのことも、私よりずっとよく知っているはずだった。
その妹に期待するのをやめるまでの話と、やめたあとの話を書く。期待を捨てれば楽になると思っていたけれど、そうはならなかった。捨てたつもりでも、心のどこかでまた期待してしまうから。
うちの場合:ケアマネの妹は動かなかった
母が腰を圧迫骨折した。介護保険の申請をするために、まず医者に診てもらわないといけない。
妹は「医者に見せんなんね」と言いながら、何もしようとしなかった。
一言。「私は仕事休めないから」
どの病院に行けばいいかも、自分で調べた。整形外科では「そこまで必要ないでしょう」と言われ、迷った末に、母が高血圧の薬をもらっていた内科で意見書を書いてもらえた。
母が入院したときは、病院からオムツをどうするか聞かれた。
「病院のオムツは高いから、持って行った方がいいよ」と妹。
ああ、この人は持って来る気がないんだ。
その通りになった。入院のあいだ、妹がオムツを買ってくることは一度もなかった。買って来たのは、歯ブラシセットだけだった。
私は会社の帰りに実家に寄って、掃除をしてから帰っていた。母の腰が悪くなってからは、ほぼ毎日。
なぜ、私だけ?
でも、家族を見捨てることができなかった。
期待するのをやめた転機
決定的だったのは、父が脳梗塞で入院したときのこと。
コロナの面会制限で、面会は週に1、2回しかできなかった。面会に行けば、洗濯物を受け取って、オムツの在庫を確認して、病院と直接話ができる。ここを妹に譲ったら、私は洗濯も病院とのやりとりもできなくなる。譲ったところで、妹がそれを代わりにやってくれるわけじゃない。
だから譲らなかった。すると妹は「面会を譲ってもらえなかった」と怒った。
このとき、心の中で何かが終わった気がする。この人に期待するのは、もうやめよう。
期待を捨てても、楽にはならなかった
「期待しなければ楽になる」とよく言うが、本当だろうか?
私にはそう思えなかった。
捨てたつもりでも、しんどくなるたびに、心のどこかでまた期待してしまう。手伝ってくれたら。せめて気にかけてくれたら。期待して、裏切られて、またイライラする。その繰り返しだった。
父は脳梗塞の後遺症で、排泄がわからなくなった。その処理が毎日あった。知的障害のある弟は、なぜか私に反発して、喧嘩が絶えなかった。父に手がかかるようになればなるほど、イライラは募った。全部一人でやらなければならない。相談する相手もいない。
そして同じくらい、寂しかった。姉妹なのに。
妹とは、今は連絡も取れていない。肉親は、一度こじれるとなかなか元には戻れない。
それでも続けられたのは、父と弟が愛おしいから
今、父は施設にいる。会いに行くたびに、少しずつ衰えていく。頭が重そうで、下ばかり向いている。歩くのも難しくなってきた。
それでも、愛おしい。だんだん弱っていく父が、愛おしい。会いに行かないと心配で仕方ない。
弟は厄介。思うところはいっぱいある。それでも、やっぱり気掛かり。在宅介護のころは、弟なりに父を支えてくれてもいた。そのことは知的障害のある弟が、父の介護を支えている。姉として思うことに書いた。
私は、妹のように知らん顔ができなかった。
妹への感情は今も消えていない。
でも不思議なもので、それより先に立つのはいつも父と弟の心配。
父は元気にしているか。弟は困っていないか。頭の中はいつもそれでいっぱい。
なぜ、私だけ?と思っているあなたへ
きょうだいを変えることはできない。でも、自分がどう動くかは選べる。
私が実際にやったのは、こんなこと。
職場に介護のことを話した。言いたくなかった。でも、言わないと通院の付き添いも有給も回らなかった。そのときのことは在宅介護と仕事の両立に限界|父が床に座っていた日に書いた。
在宅の限界を認めて、施設を探した。意地で在宅を続けるのはやめた。ショートステイから特養にそのまま入るまでの2ヶ月の記録も残している。
お金の不安は、制度で減らした。負担限度額認定証で、父の施設代は月5万円以上安くなった。
そして、当時の私は介護保険のサービスしか知らなかった。でも今は、保険の外にも頼れる先があると知っている。たとえば、訪問介護や通院の付き添いを1時間から頼める【イチロウ】のようなサービス。あの頃の自分に教えたかった。頼れるきょうだいがいないなら、代わりを外に探せばいい。![]()
きょうだいとの不公平感については、こちらにも書いています。
きょうだいがいるのに、介護は私だけだった。不公平だと感じながらも続けてきたこと。


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