介護休業という制度があるのは、知っていた。でも私は、使わなかった。正確には、使えなかった。
父の介護をしていた数年間、毎日くたくただった。本当は休みたかった。それでも有給と半休でなんとかやりくりして、介護休業には一度も手をつけないまま終わった。
理由のひとつは、会社に使った人がいなかったこと。そしてもうひとつは——「いつ使えばいいのか」が、最後までわからなかったからだ。同じように迷っている人に、当時の私の話と、あとから知った制度の本当の意味を伝えたいと思う。
介護休業を使わず、有給でなんとか乗り切った
会社に、使った前例がなかった
うちの会社では、介護休業を取った人を見たことがなかった。制度としてはあるのだろうけど、誰も使っていない。そんな中で「介護のために長く休みたい」と言い出すのは、正直こわかった。
結局、有給と半休でやりくりするしかなかった
だから私は、有給を切り崩して乗り切った。父がデイに行きたがらない日は半休を取って実家へ。どうしてもの日は一日休む。有給はどんどん減っていく。「これ、ぜんぶ介護で消えていくな」と思いながら、それでも回すしかなかった。
当時の私の一日は、こんなふうに回っていた
朝は、濡れたシーツの洗濯から始まる
朝起きると、まず実家へ向かう。オムツをしていても、布団が濡れていることがある。弟が父を着替えさせるときにオムツから漏れて、シーツが汚れてしまうのだ。それを洗濯機に入れて、干して、それから出勤する。私の一日は、いつもここから始まった。
昼は、デイからの電話で実家に走る
父はデイサービスに通っていた。でも迎えが来るまでは、一人で家で待っている。時々「行きたくない」という日があって、デイから電話がかかってくる。職員さんが様子を見に来てくれることもあったけれど、どうしても行かない日は、昼休みに実家へ走った。昼ごはんを食べさせて、また会社に戻る。
夜は、翌日の準備をして、やっと家に帰る
仕事が終わると、また実家へ。デイから持ち帰った洗濯物を洗って干し、翌日の服とデイの荷物を用意して、父にご飯を食べさせる。弟が帰ってきたら、ようやく自分の家に帰る。家では夫がご飯を作って待っていてくれた。それを食べて、家のことをして、寝る。その繰り返しだった。
実家に行くと、父が床に座り込んでいることもあった。重くて、一人ではどうしても起こせない。粗相をしていることも多くて、私はつい、父にひどい言葉をぶつけてしまった。弟とも、ささいなことで喧嘩になる。毎日、本当にギリギリだった。父が床に座り込んでいた日のことは、別の記事にも書いている。
一番の不安は「いつ使えばいいのか」だった
介護に終わりはないのに、休みは限られている
当時の私は、介護休業が何日取れるのかも、給付金が出ることも知らなかった。とにかく毎日をこなすのに必死で、制度を調べる余裕すらなかった。ただ、ぼんやりとこう思っていた。「介護はいつまで続くかわからないのに、介護休暇って、いつ取ればいいんだろう」と。
人の命に、タイミングなんてわからない
もし今、仕事を休んだとして。それで父がよくなるわけじゃない。むしろこの先、もっと大変になるかもしれない。そのときのために取っておくべきなのか、それとも今なのか。でも、人の命にも、介護にも、「ここ」というタイミングなんてわからない。だから決められなかった。結局、使わないまま時間だけが過ぎていった。
あとで知った、介護休業の本当の使いかた
介護休業は「専念する」ためじゃなく「体制を整える」ための制度だった
あとになって知ったのだけど、介護休業は「自分が介護に専念するための休み」ではないらしい。国の位置づけでは、「介護の体制を整えるための休み」なのだそうだ。施設やサービスを探したり、ケアマネさんと今後の方針を決めたり——そういう“準備”に使うもの。もし当時これを知っていたら、「疲れたから休む」ではなく「父のこれからの体制を整えるために、ここで一度休む」と、タイミングを決められたかもしれない。
介護休業(93日)と介護休暇(年5日)は別物
よく混同するのだけど、「介護休業」と「介護休暇」は別の制度だ。
- 介護休業:対象家族一人につき通算93日まで。3回まで分けて取れる。
- 介護休暇:年5日(対象家族が2人以上なら10日)。1日や1時間単位で取れる。通院の付き添いなど、短い用事に向いている。
私が日々やっていた「半休で実家へ」という使い方は、本当は介護休暇でまかなえたのかもしれない。有給を減らさずに済んだのかと思うと、知らなかったことが少し悔しい。
給付金は、賃金の約67%が出る
さらに、介護休業中は無給になることが多いけれど、雇用保険から「介護休業給付金」として、休む前の賃金の約67%が支給される(一定の条件あり)。「休んだら収入ゼロ」だと思って諦めていた人も多いと思う。私も、そう思っていた一人だった。
もし、あのときの自分に伝えられるなら
あのころの私に伝えられるなら、こう言いたい。「制度を調べるのも、立派な介護の準備だよ」と。毎日をこなすのに必死で、調べる余裕なんてなかった。でも、知らなかったせいで使えなかったものが、確かにあった。
同じように走り続けている人がいたら、少しだけ立ち止まって、自分が使える制度を調べてみてほしい。そして、もし「在宅でやり続けるのは、もう限界かもしれない」と感じているなら、それは甘えではない。在宅介護の限界のサインについてはこちらの記事にまとめた。
施設を選ぶことも、決して逃げではなかったと、今の私は思っている。
父は、今、施設にいる。穏やかかどうかは、正直わからない。
でも、少しずつ、弱っていっている。
本当は家にいたいと言っていた。諦めたのか、私のことを思ってくれているのか——それはわからないけれど、父は黙って、施設にいてくれている。
少なくとも私は、あの綱渡りのような毎日から、ようやく少しだけ息をつけるようになった。あのとき制度を知らなかったことも、父にひどい言葉をぶつけてしまったことも、今でも消えない。それでも、走り続けるしかなかった自分を、もう責めないでおこうと思う。


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