介護をしていると、他人には絶対に言わない言葉を、家族に言ってしまうことがある。
私にも、そういう瞬間があった。
なぜ、家族にだけ言えてしまうのか
父は脳梗塞の後遺症で、言葉がうまく出てこない。排泄も、自分でコントロールできないことがある。
そういう日の洗濯物を見て、私は父にきつい言葉をぶつけた。怒鳴ったわけじゃない。でも、棘のある言い方だった。
他人にはできない。でも父には、言えてしまった。
それはたぶん、「この人は私を嫌いにならない」という甘えだと思う。逃げない、切り捨てない、それが分かっているから、言えてしまう。
うつむいた父を見て、気づいたこと
言葉を受けた父は、何も返さなかった。うつむいていた。
その姿を見たとき、「自分がいちばん嫌なんだ」という気持ちが伝わってきた。
父だって、こうなりたくてなったわけじゃない。分かっていた。分かっていたのに、言った。
あとで、何度もあの言葉を思い出した。
怒りと愛情は、同時に存在する
介護をしながら、怒っている。疲れている。それでも、愛情がある。
この三つは矛盾しているようで、全部本当のことだ。
「なんで私ばっかり」と思う気持ちも、父を心配する気持ちも、同じ胸の中にある。どちらかが偽物なわけじゃない。
それがぐちゃぐちゃに混ざり合ったまま、介護の日常は続いていく。
生活は、止まらない
その夜、梅を漬けた。毎年続けている行事。手を動かしていると、少しだけ気持ちが静かになる。
怒った日も、後悔した日も、また明日が来る。
きれいな気持ちじゃなくていい、と最近は思うようにしている。ぐちゃぐちゃのままでも、続けていくことが、たぶん介護というものなのだと。
夢子


コメント