前回、施設に入れたことへの罪悪感について書いた。
「施設に入れたのは逃げだと思っていた」という記事で、父にひどい言葉をぶつけてしまったこと、それでも最後には施設入所を選んだことを書いた。
今日は、その「前」の話をしようと思う。
限界だったあの頃のことを。
もし今、在宅介護の真っ只中にいる人がいたら、読んでほしい。
あなたは、十分すぎるくらい頑張っている。
(前回の記事はこちら:施設に入れたのは逃げだと思っていた。でも、在宅のままだったら、もっと父を傷つけていた。)
在宅介護の限界サイン、私はほぼ全部あてはまっていた
今振り返ると、限界のサインはちゃんと出ていた。
気づいていたけど、認めたくなかった。
こんな状態、ひとつでも思い当たるなら、あなたも限界に近いかもしれない。
- □ 夜中に物音がして目が覚め、よく眠れない日が続いている
- □ おむつ交換が重なる時期がつらくて、ため息が出る
- □ 声を荒げてしまった後、自己嫌悪で眠れない
- □ 仕事→実家→帰宅→家事→就寝、自分の時間がゼロ
- □ 夫や家族が助けてくれていても、それでも余裕がない
- □ 「もっとうまくやれるはず」と自分を責め続けている
- □ 父(母)に笑顔で接することができない日が増えた
私は、このほぼ全部に心当たりがあった。
怒鳴ってしまった話、正直に書く
何度も、怒鳴ってしまった。
一度口から出てしまうと、次々とひどい言葉が続いた。
止めなきゃと思っていた。でも止められなかった。
その後が一番つらかった。
誰にも言えなかった。言葉の暴力をしている自分を、話せる相手がいなかった。
責めているわけじゃない。
あの頃の自分を責める気にもなれない。
ただ、あれは限界のサインだったんだと、今は思う。
怒鳴ってしまった自分が嫌いだった。
でも、怒鳴ってしまうほど追い詰められていた、とも言える。
共倒れになると、介護される側も困る
「自分を追い込まないように」と、当時も意識していた。
でも生きていると、追い詰められることはある。それは仕方ない。
ただ、一つだけ確かなことがある。
介護している側が倒れたら、介護される側も困る。
父を穏やかに見送ること。それが私の気持ちの中心にある。
だからこそ、私が壊れてはいけなかった。
自分を守ることは、逃げじゃない。
父を守るための、選択だった。
施設見学で気づいたこと
施設に電話をかける前、「怖い人が出たらどうしよう」と思っていた。
実際に行ってみると、電話では怖そうに感じたスタッフが、対面では親身に話を聞いてくれた。
人って、会ってみないとわからない。
別の施設では、スタッフが積極的に動いてくれた。
「住民票を移して世帯分離したうえで、ロングステイという形はどうか」と、こちらが聞く前に提案してくれた。
そういう一言が、どれだけ助かるか。
反対に、面倒くさそうに対応する施設もあった。
廊下ですれ違っても、挨拶もない。
施設内でスタッフが挨拶してくれるかどうか。
ちょっとしたことで、雰囲気ってこんなに違う。
だから、絶対に見学に行ったほうがいい。
電話だけで判断しないでほしい。
自分を守ることが、父を守ること
あの頃の自分に、今何て声をかけるか。
正直、まだわからない。
「よく頑張った」と言いたい気持ちもある。
でも「もっと早く助けを求めてよかった」とも思う。
在宅介護の限界は、弱さじゃない。
それだけ、全力でやってきた証拠だと思う。
もし今、限界かもしれないと感じているなら。
それは、サインだ。
無視しないでほしい。
— 夢子


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