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父が脳梗塞で入院した3ヶ月。いちばん怖かったのはお金だった

入院3ヶ月で32万円 在宅介護のリアル

2023年11月、父の様子がおかしかった。なんとなく変だと思って病院に連れて行ったら、脳梗塞を起こしていた。

そのまま入院になった。3ヶ月と少し。

払ったのは全部で322,841円。そのうち137,902円は食費で、この分に高額療養費は効かない。

入院費は、3ヶ月で322,841円だった

実際の請求はこうなった。カードで払った金額をそのまま並べている。

請求支払額うち食費
1回目100,446円42,780円
2回目100,259円42,659円
3回目91,533円44,100円
4回目30,603円8,363円
合計322,841円137,902円

月にすると10万円を少し超えるくらい。最後の1回は退院までの半端な日数なので、金額が小さい。

高額療養費は、母のときに知っていた

高額療養費は、1ヶ月の医療費の自己負担に上限をつける制度。上限を超えた分は戻ってくる。

これは母のときに知っていたので、父のときは迷わなかった。今はマイナンバーカードを窓口で出せば自動で適用されるので、あとから手続きに走る必要もない。

それでも、食費は別に払う

高額療養費が効くのは治療費に対してだけ。入院中の食事代は対象外になる。

うちは個室を使わなかったので差額ベッド代はかかっていない。それでも月10万円を超えたのは、食費が乗っていたから。

322,841円のうち137,902円が食費。支払いの4割ちょっとが、治療費以外だった。

制度の説明を読んでいるときは、この部分が頭に入っていなかった。上限があるなら、それ以上は来ないのだと思っていた。

うちは、食費を減らせなかった

入院中の食事代にも、安くなる制度がある。

住民税が非課税の世帯だと、1食あたりの負担が半額以下になる。当時の金額でいうと、一般が1食460円、非課税だと210円。役所で「限度額適用・標準負担額減額認定証」を申請して、病院の窓口に出す形になる。

うちは対象にならなかった。当時、父と弟は住民票が同じ世帯で、弟に収入があったから。

父の住民票を分けたのは、それよりずっとあとのこと。世帯を分けたら介護費用が月5.5万円下がったけれど、入院のときには間に合っていない。

(世帯を分けた話は世帯分離で介護費用が月5.5万円下がったに書いている)

食費も、医療費控除には入れられる

減らせなかった食費も、確定申告のときに医療費として申告できる。国税庁の説明にも、入院の際の部屋代や食事代は医療費控除の対象と書かれている。

この入院の分も、私は医療費控除に入れた。

あとからお金が戻ってきたときは、その分を引いて申告する。ここに並べた金額は、戻ってきた分がすでに引かれたあとの支払額。

(確定申告のことは世帯分離しても扶養控除は受けられたに書いている)

怖かったのは、いくらになるか分からないことだった

数字にしてしまえば、32万円という額でしかない。

でも当時の私が怖かったのは、この金額そのものではなかった。

父が脳梗塞だと言われて、命のことより先に考えたのがお金のことだった。薄情に聞こえるかもしれない。でも今思い返しても、いちばん心配だったのはお金だった。

10万円なのか、100万円なのか

3ヶ月入院すると言われても、それがいくらになるのか分からない。

桁が分からなかった。分からないから、どう備えればいいのかも決められない。

そして入院費より重かったのが、そのあとの介護にかかるお金と、父の生活費のほうだった。父の年金だけでやっていけるのか。足りない分は誰が出すのか。

弟には知的障害がある。父が動けなくなったら、弟の暮らしも私が抱えることになる。当時、弟は会社の人とうまくいかなくて、仕事を辞めるかどうかという時期でもあった。

仕事を辞める選択肢はなかった

介護のために仕事を辞める、という考えは最初から無かった。

私がいないと実家の生活は回らない。回らないのに、収入を無くすわけにいかない。辞められないことは、考えるまでもなく分かっていた。

誰にも聞けなかった

いま検索すると、「まずは相談しましょう」と書いてある記事がたくさん出てくる。

当時の私は、その相談する相手がいなかった。

夫にも、すぐには言えなかった

お金のことは、誰に相談していいのかが分からない。役所なのか、病院なのか、それとも家族なのか。

夫にも、すぐには言えなかった。

それでも、いちばん先に相談したのは夫だった。一度に全部を話せたわけではないけれど、少しずつ相談に乗ってもらうようにした。身近にいる人に、少しずつ渡していくことはできた。

面会は週2回、20分だけだった

入院していたのはコロナで面会が制限されていた時期。それでも週に2回、1回20分は会えた。

洗濯物とおむつを持って、必ず行った

洗濯物を取りに行き、おむつの予備を持っていく。用事があったので、週2回は必ず病院に行っていた。

20分は短い。でも短くても、毎週2回、父の顔を見ていた。

そのおかげで気づいてしまったことがある。

父の顔から、表情が消えていった

会うたびに、父の顔から表情が抜けていった。

入院で認知症が進むことがある、と説明を受けていた

入院するときの説明で、病院からこう言われていた。環境が変わることで、認知症が進むことがあります、と。

聞いた時点では、そういうこともあるのかと思っていた。

祖母は、圧迫骨折の入院で認知症になった

でも、うちには実例があった。

祖母が圧迫骨折で入院したとき、そのまま認知症になった。だから「進むことがあります」は、他人事の言葉ではなかった。

看護師さんから聞く父は、私の知っている父じゃなかった

面会のたびに、看護師さんから病室での父の様子を聞いた。

その話に出てくる父は、私の知っている父ではなかった。

父がこのまま帰ってこないんじゃないか。体より先に、頭のほうが戻らなくなるんじゃないか。入院しているあいだ、そのことばかり考えていた。

家に帰ったら、いつもの顔に戻った

退院して実家に帰ってきたら、父の表情が戻ってきた。

数日のうちに、私の知っているいつもの父の顔になった。

トイレとお風呂を間違えることはあった

戻ってすぐは、おかしなこともあった。

トイレとお風呂を間違えて入ろうとする。便が漏れたときに、それをお風呂場に隠そうとする。

後遺症でおむつは必要だったし、体は思うように動かなかった。歩行器で移動していた。

それも、だんだん無くなった

そういうことも、だんだん無くなっていった。

治ったというより、普通に戻ってきた、という感じに近い。体は動かないままだったけれど、頭はしっかりしていた。

入院しているあいだ、あれだけ怖かったことは起きなかった。

あとで知った「せん妄」のこと

父に起きていたことに名前があるらしいと知ったのは、ずっとあと。

「せん妄」というもので、入院のように環境が急に変わったときに起きることがある。

認知症と違って、元に戻ることがある

認知症とせん妄は、別のもの。

せん妄は急に始まって、1日のなかでも様子が変わる。そして多くは一時的で、元に戻ることがある。認知症のほうはゆっくり進んで、元には戻らない(MSDマニュアル家庭版「せん妄」)。

父が「せん妄でした」と診断されたわけではない。だからうちの場合がそうだったとは書けない。ただ、あのとき私が怖かったものには、こういう名前のものもあると知っていたら、少しは違ったと思う。

「なじみと安心」が回復を支える

せん妄について読んでいて、目に留まった一文がある。

見慣れた物、家族の顔、穏やかな声かけ。そういう「なじみと安心」が回復を支える、と書かれていた。

週2回、20分。洗濯物を取りに行くついでのような面会だった。あれに意味があったのかもしれない、と今は思っている。

この3ヶ月のあとに、2年の在宅介護が始まった

父はそのあと実家に帰ってきて、2年間の在宅介護が始まった。そして2025年11月に特養に入っている。

入院中に怖かったお金は、形を変えて続いた。在宅のあいだは福祉用具のレンタル代、特養に入ってからは月10万円弱の請求書。金額が見えるようになったぶん、分からない怖さは無くなった。

同じところにいる人に伝えたいのは、金額が分からないうちがいちばん怖い、ということ。数字が出てしまえば、そこから考えられる。

読んでもらえたら嬉しい。

この記事は、介護の流れの中の一場面です

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