実家からの帰り道、車の中でよく泣いた。
父にきつい言葉を言ってしまった日は、特に。
オムツが漏れていた日。便が、あちこちについていた日。
「どれだけ私に迷惑かければ気が済むの」
「いつまでも面倒見れんよ」
父は何も言わなかった。黙って、下を向いた。悲しそうだった。
ハンドルを握りながら、あの顔を何度も思い出した。
なぜ父にだけ言えてしまうのか、そのことは以前の記事に書いた。今日は、その先の話をする。
「やめよう」と思っても、また言ってしまった
毎回、後悔していた。こんな言い方はしないと、毎回決めていた。
でも疲れていると、口調がきつくなった。怒りたいわけじゃないのに、言葉が刃になって出ていった。
やめようと思っているのに、やめられなかった。それが一番、自分を追い詰めた。
施設に入れることを決めた、本当の理由
父を施設に入れることを決めたとき、「逃げた」と思った。
でも同時に、こう思った。
このまま続けていたら、私は父をもっと傷つける。
在宅のまま限界を超えていたら、もっとひどい言葉を言っていたかもしれない。手が出ていたかもしれない。今思えば、そこまで追い詰められていたのだろう。
逃げたという気持ちと、これ以上父を傷つけたくないという気持ち。
両方が本当だった。
逃げたのか、守ったのか
父が施設に入ってから、自分と家族の時間が取り戻せた。
父には申し訳ないと思いながら、ありがたいとも思っている。
毎週一回、必ず会いに行く。コロナの影響でまだ面会時間は短い。それでも、行くと決めている。
ただ、会いに行くたびに気が重い。
父が、だんだん歩けなくなってきているから。
在宅のころは、デイサービスに行くために毎日外階段を上り下りしていた。今は朝だけ、少し歩けるくらいになったらしい。横になっている時間が長い。
施設に入れたから歩けなくなったのか。家にいたら、違ったのか。
今でも、そう考えることがある。
罪悪感は、消えない
介護の記事には「施設に入れることは逃げではありません」とよく書いてある。
でもその言葉で、楽になれたことは一度もない。
罪悪感は今も消えない。消えないまま、週に一度、父に会いに行く。
それでも私が思うのは、あのまま在宅を続けていたら、父の体よりも先に、父の心が傷ついていたかもしれない、ということ。
疲れた私の言葉に、毎日傷つけられながら。
他人に委ねることで、守れるものがある。そう思うことにしている。
次の記事では、実際に特養を探したときのこと——施設への電話、見学、広域型と地域密着型の違い——を書こうと思っている。


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