父と話していると、途中で言葉が止まることが増えた。
何か言いかけて、ふっと首を振る。そのまま笑う。
以前の父なら考えられない。怒鳴ることもあった、頑固で怖い人だったのに。
そんな父を見ながら、ふと気づく。私、今日も安心してる、と。
そしてその直後に、疲れた、とも思う。
この二つが、毎日セットでやってくる。
「嬉しい」と「しんどい」が同時に来る
父は要介護4だ。
以前は口数も多く、頑固で、正直言ってぶつかることも多かった。それが今では、言葉がうまく出なくなった。ぼんやりしている時間が増えた。
変わった父を見て、最初は戸惑ったし、悲しかった。でも今は不思議なことに、以前より愛しいと感じている。弱くなった分だけ、守りたいと思う気持ちが強くなった気がする。
だから「生きていてほしい」という気持ちは本物だ。
ただ、それとは別に、体と心はちゃんと疲れている。
介護はまだ終わらない。終わりが見えない。そのことが、じんわりと重くのしかかる。
矛盾しているようで、矛盾していない
「生きていてほしい」と「疲れた」は、矛盾しているように聞こえる。
でも介護をしている人なら、この二つが普通に共存することを知っている気がする。
愛していても、疲れる。大切だから続けているのに、しんどくなる。それは当たり前のことだ。体力にも、気力にも、限りがある。
むしろ「疲れた」と感じるのは、それだけ向き合っているということだと、最近少し思えるようになった。
「早く終わってほしい」とは、少し違う
「介護がつらい」と言うと、「早く終わってほしいってこと?」と取られることがある。
でも私が感じているのは、そうじゃない。
終わってほしいわけじゃない。ただ、今日も疲れた、というだけだ。
父に生きていてほしい。それは変わらない。ただ、毎日実家に通いながら、仕事もして、自分の生活もあって、それを回し続けることが、やっぱりしんどいのだ。
この「嬉しくて、しんどい」という感覚を、うまく言葉にできなくてずっと抱えてきた。でも最近は、この感情に名前をつけなくてもいいかな、と思っている。
それでも、今日も玄関を開ける
仕事帰りに実家に寄る習慣は、たぶんこれからも続く。
父がいる。それだけで、ちゃんと安心する。
しんどくても、足が向いてしまうのだから、それはもう答えなのかもしれない。
介護している方の中に、同じように「嬉しいのに、しんどい」と感じている人がいたら、それはただ正直な感情だと思う。おかしくない。
私も毎日、そんな気持ちで玄関を開けている。
夢子


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