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障害基礎年金を姉が申請した話|知的障害の弟が2級に通るまで

介護とお金・制度

弟の障害基礎年金を申請したのは、私。親ではなく、姉として。

母が亡くなり、父が脳梗塞で倒れた。二人いた親が、どちらも頼れなくなった。知的障害のある弟のことを、誰かがやらなければならなかった。

どうしようもなくなって、ようやく行政に頼ることにした。それが、申請のはじまりだった。

窓口によって言うことが違う

まず市役所に行き、次に年金事務所に電話した。ところが、それぞれで教えてもらった内容が微妙にずれていた。

どっちが正しいの、と何度思ったかわからない。確認のために電話して、また別の窓口に問い合わせて。時間も気力も削られた。

年金事務所に電話するのも、正直怖かった。変なことを聞いたら怒られるんじゃないかという、根拠のない不安がずっとあった。でも、電話しないと前に進めない。やるしかなかった。

「なぜ今さら」と思われることについて

なぜもっと早く申請しなかったのかと思う人もいるかもしれない。

昔は、障害をオープンにすることが今よりずっとしにくい時代だった。両親も、その時代の中で必死に考えて動いていた。普通学級に通わせたのも、そのときの精一杯の判断だったと思う。

それが正しかったかどうかは、わからない。でも責める気持ちはない。

母が亡くなって、父が倒れて、どうにもならなくなってから動いた。

それで全然いいと思う。遅すぎるなんてことはない。

結果は2級。申請から2ヶ月かからずに通った

申請から1〜2ヶ月ほどで、年金証書が郵便で届いた。

ほっとした。それが一番正直な気持ちだった。

通ったのは、障害基礎年金の2級。弟のときで、月に約68,000円。金額は毎年少しずつ見直されている。

遡っては、もらえなかった

障害基礎年金は、条件が合えば過去の分をさかのぼって受け取れる場合がある。最大で5年分。でも弟は、もらえなかった。

さかのぼるには、20歳ごろに障害の状態だったとわかる、当時の診断書が原則必要になる。弟はその頃、障害で通院していなかった。小さい頃に通っていた病院は、先生が亡くなって今はもうない。カルテも残っていない。

年金事務所に電話で聞いて、そう言われた。

当時の通知簿など、その頃の様子がわかるものがあれば認められる場合もあると聞いた。うちには、それもなかった。

どうしようもないこと。それよりも、申請が通ったことが嬉しかった。欲をかいたらダメ。

もしこれから申請するなら、一つだけ。

古い診断書や通知簿は、捨てないでほしい。いつか、それがお金の証明になる。

年金は、もらって終わりじゃない

弟の場合、2年ごとに「更新」がある。障害の状態を確認する診断書を、もう一度出す手続き。今年が、その年になる。

前回は11月ごろだった。今年も同じ時期に通知が来るはず。診断書は、前と同じ病院で書いてもらう。

結果の確認で年金事務所に電話したとき、こう言われたことがある。

「今お仕事されているなら、これからももらえるかは分かりませんよ」

棘のある言い方だった。そんな言い方をしなくても、と今でも思う。

その弟は今、無職。働きたくても、就職先がない。世間では売り手市場と言われている。弟には、その風は吹いていない。今は就労継続支援A型の事業所を探している。

弟は、生活費とこれからの老後のお金を心配している。次も年金がもらえるかは、わからない。

きょうだいが申請者になるということ

申請の途中で、とても親身になってくれる支援員さんに出会った。

「お姉さん、大丈夫ですよ。私たちに頼ってくれていいんです。」

その言葉で、少し力が抜けた。ずっと、誰にも頼れないと思っていた。

親が高齢になったり、亡くなったりすることで、きょうだいが手続きを担うケースは増えていくと思う。でも、その立場向けの情報はまだ少ない。私自身、手探りで進めた。

もし同じ立場の方がいれば、まず市役所の障害福祉課か、相談支援事業所に連絡してみてほしい。一人で抱え込まなくてもいい。

私は、見守ると決めている

更新の手続きは、弟が支援員さんと一緒に進める。私は手を出さない。

冷たいからじゃない。私がいなくなったあとも、弟が自分で支援制度を使って生きていけるようになってほしいから。

申請のときは、私が全部やった。これからは、弟が自分でやるのを見守る番。

弟とのことは、知的障害のある弟が、父の介護を支えている。姉として思うことにも書いている。

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