父の様子が、なんだかおかしかった。病院に連れて行ったら、脳梗塞を起こしていた。
そのまま3ヶ月ほど入院した。
介護保険の区分変更は、入院している間に済ませた。「退院できます」と言われてから実際に帰ってくるまでは2週間ほどで、その間にやったのはデイサービスと家の準備。
でも自分で組み立てたわけじゃない。病院に言われたことを、順番にやっただけ。
要介護4の父を、そこから2年間、家で見た。知的障害のある弟と二人で。
入院は3ヶ月ほど。デイを探し始めたのは、リハビリが始まったころ
病院に行ったのが11月。そのまま入院になって、家に帰ってきたのは3ヶ月くらいあとだった。正確な日数は覚えていない。
最初のうちは、退院後の話ができる状態ではなかった。急性期が過ぎて、リハビリが始まったころから、そういう話が出るようになった。
うちは最初から、家で過ごす前提だった。だから入院している間に、デイサービスを探してもらった。
区分変更の申請は、入院中にソーシャルワーカーさんと出した
父はそれまで要支援だった。脳梗塞のあと、区分変更の申請を入院中に出した。病院のソーシャルワーカーさんと一緒に。
認定調査は病院で。私も立ち会った
認定調査も病院でやった。調査員の人が病院に来て、父の状態をひとつずつ確認していく。私も立ち会った。
本人が「できます」と言ってしまう
本人が「できます」と言ってしまう。
母のときもそうだった。義父のときもそうだった。実際は手を貸さないと無理なのに、聞かれると「できる」と答える。
うちの父はあまり話さない人なので、何も言わなかった。かわりに病院の人が、実際のところを調査員に伝えてくれた。何ができて、何ができないか。
そこは病院の人がいてよかったと思う。でも、聞いているのは辛かった。父のできないことが、ひとつずつ読み上げられていく時間だった。
会社で同じ立場の人に「認定調査ってどんな感じですか」と聞かれたとき、そこだけ伝えた。ちょっと辛いかもしれません、と。その人もあとで「そうだった」と言っていた。
要支援から、要介護4になった
結果は要介護4。要支援から、一気に上がった。
デイが決まるまで、退院しなかった
退院の日は、デイサービスが決まってから決めた。ここは譲らなかった。
帰ってきてから探すとなると、決まるまでの間を誰が見るのかという話になる。私も弟も働いている。
探す条件は「毎日行けること」と「実家から遠くないこと」
探す条件は二つ。
毎日行けること。それと、実家から遠くないこと。
探したのは私ではない。病院のソーシャルワーカーさんが全部やってくれた。こちらは条件を伝えただけ。
枠が埋まっていて、時間がかかった
それでも、なかなか決まらなかった。毎日となると、どこも枠が埋まっている。
動き出したのがリハビリの始まったころだったので、退院までに間に合った。「退院できます」と言われてから探し始めていたら、2週間では間に合わなかったと思う。
病院がやってくれたこと
家に来て、生活動線を見てくれた
退院の前に、病院の人が父を連れて実家まで来てくれた。
家の中を実際に歩いてもらって、どこで手をつくか、どこが危ないかを見ていく。
歩行器は、父に合わせて選んでもらった
歩行器も、そのときに決めてもらった。
選ばれたのは、体重をかけるとブレーキがかかるタイプ。進みが遅いもの。
デイ用と家用で、2台借りた。
おむつの交換ととろみの付け方は、病院で教わった
食事は刻み。飲み物にはとろみをつける。
おむつの交換の仕方も、とろみ粉の使い方も、退院前に病院で教えてもらった。やってみせてもらって、こちらもその場でやってみる。
とろみ粉はそのあとずっと使うことになった。買い足しの話は在宅介護の必需品の記事に書いている。
家の準備は、デイのケアマネさんと
デイが決まると、そこのケアマネさんがつく。家の中の準備は、その人と一緒にやった。
手すりを置いてもらった
手すりを置いてもらった。工事はしていない。介護保険で借りられる、床に置くタイプのもの。
家の中を父が歩く道筋に沿って、必要なところに入れていった。
介護ベッドは借りなかった
介護ベッドは借りていない。
家に普通のベッドがある。父は手すりがあれば、自分で起き上がって立つことができた。だから要らなかった。
準備したのに、抜けていたこと
朝ごはんまで手が回らなかった
刻み食のお弁当は頼んだ。でも最初は、夜の分だけにしていた。
朝は自分が前の晩に作って置いていけばいい。そう思っていた。
でも、おむつのこと、着替えのこと、薬のこと。夜のうちにやることが思っていたよりずっと多くて、朝ごはんの支度までは届かなかった。
夜の弁当を2食頼んで、1食を朝に回した
やったのは、夜の弁当を2食頼むこと。そのうちの1食を、次の朝に回した。
これで作らなくてよくなった。弁当そのものの選び方は宅配弁当の記事に書いている。
私がやったのは、言われたことを順番にやっただけ
退院までにやったことを並べると多く見える。でも自分で計画を立てたわけじゃない。区分変更の申請も、歩行器も、手すりも、全部あちらから話が出てきた。
自分で決めたのは、デイが決まるまで退院しない、ということだけ。
そこから2年、家で父を見た。だんだんきつくなって、最後は施設を探すことになる。そのときのことは在宅介護の限界サインの記事に書いている。
読んでもらえたら嬉しい。


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